記事よりの引用
京都産業大(京都市)は14日、国家戦略特区を利用した獣医学部の新設を断念し、総合生命科学部を再編して新たに「生命科学部」を開設する構想を発表した。
記者会見での黒坂光副学長らと報道陣との主な質疑応答は次の通り。
――なぜ組織改編するのか。
本学のライフサイエンスの研究・教育は平成元年から始まっている。獣医学部の開設はならなかったが、動物生命医科学科でやってきた内容を新しい学部で活用、継承する。
――動物生命医科学科でやってきたことは一定の役目を終えたのか。
動物生命医科学科は総合生命科学部の学科で、もともと獣医師を養成するためではなかった。ライフサイエンスの中で実験動物、基礎研究、応用研究で尽力していただいた。新学部で継承したい。
――獣医学部断念の理由は。
獣医学部は京都府が申請主体だったが、国家戦略特区の実施主体として私どもは申請した。構想はいい準備ができたが、今年1月4日の告示で「平成30年4月の設置」になり、それに向けては準備期間が足りなかった。その後、(学校法人)加計学園が申請することとなり、2校目、3校目となると、獣医学部を持っている大学は少なく、教員も限られているので、国際水準の獣医学教育に足る十分な経験、質の高い教員を必要な人数確保するのは困難と判断した。
――安倍首相は2校、3校認めると話したが、将来的にも獣医学部の新設はしないのか。
大学を取り巻く環境は非常に早く変わっている。私どもは獣医学部の申請をして願いはかなわなかったので、社会の変化に対応する学部再編が必要で、次の学部再編に踏み込んだ。将来に向けては考えていない。
――新学部は特区の獣医学部を練り直したという理解でいいか。
総合生命医科学部の動物生命医科学科を母体として、そこの特長をのばす方向で獣医学部の申請をした。ライフサイエンスの一つの学科なので、その方向に加えて、生命資源環境学科の特長を踏まえて、ライフサイエンスにシフトした研究と教育を構想した。
――学部再編の構想が始まったのは今年1月4日の告示からか。
獣医学部ができれば、残り2学科をどうするかの問題があり、獣医学部のことをやりながら、議論はしていた。新しい学部の構想を具体的にしたのは告示を受けてから。獣医学部の方向性は無くなったということで、動物生命医科学科を含めて新しい学部を作る構想に着手した。
――新学部では獣医学部でできなかったことができるのか。
獣医師養成はできないが、その分ライフサイエンスに特化した研究・教育になる。獣医学部ではできないような分野の教育と研究ができる。
――今回、加計学園に決まったが、京産大に不足していた構想内容は何か。
実験動物と感染症を中心に創薬に強いライフサイエンス系の獣医学部を作る構想は自負するところがある。開設の時期が私たちには十分ではなかった。
――開設の時期が「京産大外し」につながった認識はあるか。
それはありません。告示を見て判断した。それだけであります。
――もし開設するのであれば、どれくらいの獣医師が必要で時期はどれくらいあれば十分だったか。
申請が認められれば教員の確保や建物の確保に着手するつもりだったが、構想段階で終わった。我々の築いたライフサイエンスの経験があるので、ゴーサインがでればすぐに着手するつもりだった。何年後かはお答えできない。
――具体的にこういう時期だったらというプランがあったのか。獣医師の人数は。
人数は考えていた。でも、教員を確保するアクションはしていなかった。
――京都府綾部市が候補地にあがっていた。あそこは今後使うのか。
綾部市とは獣医学部構想で、畜産センターの横の土地をキャンパスとして話を進めていたが、具体的に購入できるまで詰まった話ではなかった。綾部市とは包括協定を結んでいて、学生等がフィールドワークする際の府北部の拠点と位置付けているので、今後も連携協力する。
――昨年11月、国家戦略特区の諮問会議の方針で、「広域的に獣医師養成大学が存在しないところに限り新設可能」との条件が入ったが、この段階で駄目と思った訳ではないのか。
広域的の解釈は色々あるが、関西では大阪府立大学。我々の構想は綾部市で、京都市ではないので、広域ということだけで対象外となったとは思っていなかった。
――不透明な決定という感触は無かったのか。
ございません。平成30年4月が無理だったということ。具体的にヒアリングでもいつというのは答えたことはない。平成29年3月末までに学部設置の認可申請を提出する必要があると。告示からスタートするとなると、3か月あまりで設置計画から教員の確保が必要になる。それはタイトなスケジュール。非常に学部を設置するには、期間があるようで短い。今回の平成30年の開設は、本学にとっては予期していない期日で難しかった。
――そんなに早く期限を切ってくるとは想定しづらかったということか。
はい。本学の場合、そこまでの準備はしていなかった。
――獣医師を育成できなくなったことで、できなくなることは何か。
一番は獣医師を養成できないことだが、獣医師の実験動物と我々のマウス、ラットとはちがい、獣医師は研究においてもミニブタとか、そういう施設を学内に作ったりする必要があるものを扱う。小動物に限定されることになる。
――昨年11月に広域的という条件が入った段階で、「石破4条件」は大学としてはクリアしたと考えていたか。
我々としては、蓄積してきたノウハウを盛り込んで、ライフサイエンスに強い獣医系学部を作るという最善のものを用意したつもり。それが4条件をクリアしたかは、審査される側の話なのでコメントするところではない。
――「広域的」というのは、自分たちは資格があると判断したか。
先ほども答えたが、この言葉で対象外になったとはその時点では考えていなかった。
――今年1月4日の告示の段階でひっかかったのは、時期という一点だけか。
そうですね。時期。その時期の開設は無理だった。
――人材確保が重要という意味では、加計学園の方が平成30年を見越して集めていたと感じたか。
それはわかりません。私どもは集めることはできなかった。
――大学として断念の発表は悔しいか。
獣医学部ができなかったのは非常に残念ではありますが、ライフサイエンスの研究を発展させるのも、私たちの大きな目標だったので、生命科学の分野でいい学部の申請ができたのではないかという喜びも持っている。
――一連の騒動の中で思うところは。
私どもは、獣医学部ができなかったというところで、次の方向に、スピード感がある大学運営が求められているので。非常に残念だが、次の構想に行くということで新しい方向に向いている。色々、社会の状況はあるようだが、自分たちのいい学部を作るのが大事。新しい学部の構想を発表に至るということで満足している。
――納得できない部分は。
特にございません。告示の内容に照らして、私たちが間に合わなかった。
――先だって安倍首相から全国展開の話があったが、大学としては新学部にかじを切ったから、獣医学部は将来的に難しいと判断したのか。
私たちが生命科学系の学部を改組するというのは、もっと早い段階でかじを切っている。
――大学として決定について、方針を見直すことにはならないか。
ございません。
――開学の時期で平成30年4月は予期しなかったということだが、これまでもワーキンググループの諮問会議の委員は、特区とはスピーディーにやるもので、最短の時期は平成30年4月は前提のようだった。京都府や京産大は、最短の時期で平成30年4月の開学というのは、計画を練る中で頭になかったのか。
平成30年4月開学は考えていない。国家戦略特区の岩盤規制に穴を開ける、開けないが決まっていない段階。認定されても、そこから文部科学省の認可申請をクリアする必要がある。通常の単独申請ならば、文科省への申請が認定されれば、学部が開設できるが、今回のケースは違う。大学がその準備をするスタートは、そこを確認したうえでないと、人、建物、設備は整えられないと感じていた。スピーディーをどうとらえるかだが、我々は平成30年4月は意識していなかった。
――特区の会議で出てくるスピーディーという言葉、最短という言葉と、平成30年4月は全く結びつかなかったと。
そうです。
――安倍首相の2校でも3校でも認めるという発言もあるが、新たな構想を発表する段階で、安倍首相の発言を受けて内閣府や京都府とやりとりしたか。
そういった件でのやりとりはない。獣医学部を作るという段階で、京都府、綾部市との連携はやっていたので、新しいライフサイエンス系の学部設置構想についての情報の共有はしてきた。新学部構想に行くということは府、綾部市と情報共有してきた。
――内閣府の方から、今後認める方針があるのでどうしますか、という調整や、次回ヒアリングをやりませんかという調整は。
本学は昨年10月17日にヒアリングがあり、それ以降、内閣府からの連絡はない。提案主体は京都府なので、そこから伝わる形だが、そういう動きは聞いていない。
――「広域的」の件で、同じ関西圏に大阪府立大があったことで、ハードルが高くなった認識もなかったのか。
「広域的」をどうとらえるかということで、「広域的」ということが本学にとって、ちょっと不利だなとは思ったが、それだけをもって今回、対象外になったとは思っていなかったので、引き続き継続して見守っていた。
――昨年11月18日のパブリックコメントで、平成30年度開設が出ているが、みなさんの印象は。
最終的な告示が今年1月4日に出されているが、本学はどういう形で出るかというのが着目点だった。諮問会議での「広域的」のキーワードと、昨年11月18日の平成30年度開設のパブリックコメントを経て、どのように最終的な判断が今年1月4日にされるのかを注目していた。
――加計学園は申請が認められる前から、教員集めやボーリングをしていた。山本地方創生相は「オウンリスクでやっていることだ」と答えているが、皆さんはオウンリスクでやることは考えなかったのか。
当然、リスクのある話なので。本学は綾部市でキャンパスを設けるのも、学部を開設するのは獣医学部に限られるので、もしそれがかなわなくても、違う学部を設置できるならば、着手は可能かもしれませんが、本学はそうはならなかった。
――教員を集めるのが難しいということだが、安倍首相のどんどん作るという発言は現実的か。
それはわからない。獣医学部の設置構想を申請したが、獣医学部設置の方向には踏み出していないので。獣医学部の構想は状況は変わっているようだが、可能かどうかコメントする立場にない。
――獣医学部の構想を聞いて期待した生徒は現役生にはいたのか
それはないと思う。
――今回の騒動で、獣医学部の開設を断念するという時に現役の学生から声や要望は。
あまり関係がないように思う。
――獣医学部の開設する場合と、今回の学部での予算の差は。
獣医学部は経費がかかると思うが、試算はしていない。
――獣医学部の開設を目指してきたが、獣医師は日本でどれだけ必要とされているか。
具体的な人数でどれくらい不足しているのかは難しい問題だが、ライフサイエンスの分野で、十分な研究のできる獣医系の人材が不足しているのと、産業動物従事者に人が行かないという問題があったのは承知している。我々が獣医学部で人材を送り出せればと申請したが、現在、この状況で充足しているか否かはわからない。
――教員の確保が難しい理由として、日本獣医師会の反対も考慮したのか。
いや。獣医学部を持つ大学は、日本で16校ぐらいしかない。教員も六百数十人しかいない。国際水準の獣医教育をしようとすると、教員72人が必要とされているので、一般的には難しいのではないか。
――特区申請の構想をはじめた時期と、きっかけは。
国家戦略特区は京都府とともに計画した。平成27年6月に京都府から。本学の獣医学部構想を(京都府は)知っていたので、国家戦略特区を使って一緒に提案しないかと協力してもらいながら。
――きっかけは京都府の方から。
国家戦略特区の手段を言っていただいたのは京都府から。我々からすると、この手段は自治体と一緒にやらないといけないので。非常にありがたかった。
――今回、「ゆがめられた行政の被害者」と、前川前文部科学次官や野党から言われているが、どう受け止めるか。
それは政治の世界の話。私どもは何が起こっているのかわからないので、自分たちのすることを粛々と行ってきた。
――昨年、特区の提案の中では、獣医学部の新設ということで、事前相談で文科省の方に行かなかったか。
行かなかった。
――なぜか。
国家戦略特区ということで、まずは内閣府をクリアしないと、そもそも文科省に申請できないという認識だ。
――教員集めは難しいとのことだが、今年1月の告示があった時点で1校だけ教員集めができたことは不思議ではなかったか。
それは、わからない。私どもの大学では、動物生命医科学科に11人の教員を確保する準備をしていた。それぞれの大学によって準備は違うのでは。
――ワーキンググループの議事録の公開が3月に入ってからだった。京産大として、ほかの学校の動きを感じていたのか。
ございません。
――加計学園の動きも。
はい。今年1月4日以降も、自分たちの方向に進んできた。回りの影響を受けたことはない。
読売新聞 2017年07月15日 01時21分
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